【特別号】「80回目の敗戦の日を迎えて」「違う角度からの反戦とは?」「本音が言えない環境に」2025/8/15

写真:仙川平和公園平和の像
■【声明】80回目の敗戦の日を迎えて
れいわ新選組ホームページ『【声明】80回目の敗戦の日を迎えて』
■違う角度からの反戦とは?
戦後80年、8月15日は、敗戦の日。戦争の犠牲になったすべての皆さまに哀悼の意を表すとともに、ご遺族の皆さまにお見舞い申し上げます。
そして日本に住む人々が「戦争は2度としてはいけない」と強く望み願い、政治に要望し80年守ってきたことに感謝を申し上げます。
近頃、なんだか戦争を反対したいのに、通じないというか、響いてないというか、「どうせイイ子ちゃん」、偽善者よ!という雰囲気を感じないでしょうか?
「『核はダメ!』『戦争はいけない!』そんな言葉はもう聞き飽きた。そういう角度からじゃない反戦を」
そういった声も私のところには届いているんです。
人が殺されることはいけないことなのは分かっているが、でも、そればかりを言われても、逆にお説教のように受け取られてしまうのかもしれない。
確かに、「ダメ!」と言ってても、戦争に向かっている現状を変えられるのか?、そして虐殺されているパレスチナの人々を助けられるのか?そう思う方もいるのかもしれない。それはとても大事なポイントだと思います。
みんな助けたい気持ちがあって、本当に平和を求めているのは同じなのに、出来もしないことをいつまでやってるの?言ってるの?という思いもありますよね。
結論からいうと、「そこじゃない」。
無駄かどうかで言えば、無駄じゃないんです。
まず私たちが思っていること、感じていることの意思表示(声に出したり、書く)をすることが、自分たちを守ることに繋がるんです。
もしも声を上げなければ、「戦争OKです」とアピールしていることに繋がります。例えば「パレスチナの虐殺反対!」を言うことは、「自分たちも虐殺されたくない!」ということを同時にアピールできる。
■本音が言えない環境に
しかしおそらく多くの人々は自らは意思表示できないのではないだろうか?
会社の人に知られたら・・・、SNSチェックされたらどうしよう・・・と、自分の本音すら吐き出すことができない環境に置かれているのが現状。
黙って無視していることが正義になってしまう。
そうすると、「やらないことへの言い訳」もたくさん生み出される。
「実際、助けることも出来ないのになんでわざわざ?」
「本音を声に出すのって、ダサいし、恥ずかしくない?」
私も多くの人の立場を想像してみると、そんな気持ちが見えてくるんです。
他にも、「日本の過去の戦争や政治を悪く言われると自分が責められてるようだ」という声も。
でも、大丈夫です。皆さんは「日本」ではない。
1人1人の、「人」なんです。
平和のために自由に意思を表明できるし、もしも表明出来ない環境ならば、表明出来る環境に変えるよう行動することだって出来るんです。
「ダメ!」と言えないのであるならば、それは、奴隷制時代と何が違うのでしょうか。人権が蔑ろにされていることに対し、声を上げられないことは、生き地獄であるのだと思います。是非一緒に変えたい!
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2025年8月15日発行 / 石井れいこ & PEACE SCRUM