News / お知らせ / 活動報告2025/04/20

【隔週刊】「かみさん広場のゆくえは?」「自然も人も消えていく」「知らずに奪われるものとは」他 2025/4/19

【隔週刊】「かみさん広場のゆくえは?」「自然も人も消えていく」「知らずに奪われるものとは」他 2025/4/19

熱血お母さん100% 市議会で奮闘!

あなたは、もっと たいせつ にされるはずの人なんだ

■かみさん広場のゆくえは?

JRの線路沿いを武蔵境駅方面へ歩いていくと、右手に上連雀三丁目暫定集会施設、かみさん広場がでてきます。
この施設や広場では毎年、お餅つき大会や、お祭り、こども神輿やおとな神輿などのイベントが行われ、近隣の保育園の子たちも遊べるスペースとして、地域の人たちに愛される場所となっています。
かみさん広場に

マンション建設!?

突如出てきた民間企業による利活用計画案。
地域に激震が走ってます!大問題ですよ!
しかもここは、「災害時在宅生活支援施設」といって、被災後も自宅で生活をする在宅避難者に対して、生活に必要な資機材を配備した施設で、地域の共助の取り組みの拠点として位置付けされています。
災害時には、仮設トイレの設置や、炊出しの実施、救援物資等の配給を行ないます。ただし、これらに限らず地域の防災の活動拠点として、情報共有やコミュニティの「場」として活用される位置付けとなっているんです。
マンション建設をした場合、お祭りの音は住人からのクレームにならないの?お祭りをするスペースは残るの?餅つき・お神輿を置くスペースはない!?原っぱも消えてしまう!地域の大切な場所(人権)を守り、残し続けることが、地域の宝となり続けるのです。壊すべきではない!!

■自然も人も消えていく

養老孟司さん(解剖学者、東京大学名誉教授)がPRESIDENT Online(プレジデントオンライン)で書かれていた「子どものいない社会」が理想になっている…養老孟司「日本の少子化が止まらない本当の理由」が、なるほど!と思える内容でした。以下に引用させていただきます。

『木や草が生えていても、建物のない空間を見ると、都会の人は「空き地がある」と言うでしょう。人間が利用しない限り、それは空き地だという感覚です。
空き地って「空いている」ということです。ところがそこには木が生えて、鳥がいて、虫がいて、モグラもいるかもしれない。生き物がいるのだから、空っぽなんてことはありません。それでも都会の人にとっては、そこは「空き地」でしかないのです。
それなら、木も鳥も虫もモグラも、「いない」のと同じです。なにしろ空き地、空っぽなんですから。要するに木が生えている場所は、空き地に見える。そうすると、木のようなものは「ないこと」になってしまうわけです。
なぜ自然がないことになるのかというと、空き地の木には社会的・経済的価値がないからです。都会で「ある」のは、売り買いできるものです。売れないものは、現実に「ない」も同然。だから「空き地」と言われるのです。
岡山県の小さな古い神社で、宮司さんが社殿を建て直したいと思いました。その宮司さんが何をしたかというと、境内に生えている樹齢八百年のケヤキを切って売った。その金で社殿を建て直しました。八百年のケヤキを保たせておけば、二千年のケヤキになるかもしれません。大勢の人がそれを眺めて心を癒すことでしょう。でも、それを売ったお金で建てた社殿は、千年はぜったいに保ちません。これがいまの世の中です。
社会的・経済的価値のある・なしは、現実と深く関わっています。いまの社会では、自然そのものに価値はありません。観光業では自然を大切にしていると言いますが、それはお金になるからです。お金にならない限り価値がないということは、それ自体には価値がないということです。
なぜ価値がないかというと、多くの人にとって、自然が現実ではないからです。現実ではないものに、私たちが左右されることはありません。つまり、現実ではない自然は、行動に影響を与えないのです。
不動産業者にとっても、財務省のお役人にとっても、地面に生えている木なんて、切ってしまうだけのものです。誰かに切らせて、更地にする。どうして切るかというと、本来「ない」はずのものだからです。
そこに木が生えているから、家の建て方を変えよう。川や森があるから、町のつくり方を工夫しよう。そう思うなら、木や川、森はあなたにとって現実です。
でも、更地にする人にとっては、木は「現実ではない」。現実ではないのですが、実際には生えていますから、邪魔物扱いをして切ってしまう。まさしく木を「消す」のです。
頭の中から消し、実際に切ってしまって、現実からも消すのです。不動産業者もお役人も、自分が扱っているのは「土地そのもの」だと思っている。土地なんですから、更地に決まってるじゃないですか。まして地面の下に棲んでるモグラや、葉っぱについている虫なんて、まったく無視されます。「現実ではない」からです。

こういう世界で、子どもにまともに価値が置かれるはずがありません。子どもの先行きなど、誰もわからないからです。子どもにどれだけの元手をかけたらいいかなんて計算できません。さんざんお金をかけても、ドラ息子になるかもしれない。現代社会では、そういう先が読めないものには、利口な人は投資しません。だから、自然と同じように、子どももいなくなるのです。
いや、子どもはいるじゃないか。たしかに、子どもはいます。しかし、それは空き地の木があるのと同じです。いるにはいるけれど、子どもそれ自体には価値がない。現実ではないもの、つまり社会的・経済的価値がわからないものに、価値のつけようはないのです。 木を消すのと同じ感覚で、いまの子どもは、早く大人になれと言われています。都市は大人がつくる世界です。都市の中にさっさと入れ。そうすれば、子どもはいなくなりますから。
都会人にとっては、幼児期とは「やむを得ないもの」です。はっきり言えば、必要悪になっています。子どもがいきなり大人になれるわけがない。でも、いきなり大人になってくれたら便利だろう。都会の親は、どこかでそう思っているふしがある。
ところが田畑を耕して、種を蒔いている田舎の生活から考えたら、子どもがいるというのは、あまりにも当たり前のことです。人間の種を蒔いて、ちゃんと世話して育てる。育つまで「手入れ」をする。稲やキュウリと同じで、それで当たり前です。そういう社会では、子育てと仕事との間に原理的な矛盾がないわけです。具体的にやることも同じです。「ああすれば、こうなる」ではなく、あくまで「手入れ」です。』引用終わり

■知らずに奪われるものとは

空き地にマンションを建てる。市の管理する場所を民間企業に運用してもらう「PPP/PFI」手法。ルール違反ではない。だから市議会もヤーヤー言えずにいる状態。

でも、ルール違反かどうかの問題ではなく、あの場所では
イベント時以外にも親子が虫や草花を見たり遊んだりしているのを私は見ている。何もないっちゃあ何もない。しかし、その何もないが、目には見えない安心感につながっている。これが「人権」なんだと思うんです。
鳥かごの中の鳥。最初から鳥かごに入っていたらそれでいいのでしょうか?
あのスペースで餅つき大会があり、お祭りがあることが、少なくともうちの子どもたちの安心に繋がっていて、人と人が触れ合う多世代交流もできる宝の場所です。三鷹市は地域の人たちの声を聞くべきです!!

■【動画で見る】石井れいこってどんな議員??

石井れいこYoutubeチャンネル 配信中!
この社会の問題は、1人じゃ戦えないです。
生活不安、息苦しさ、政治に無関心、それはあなただけのせいじゃない。

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2025年4月19日発行 / 石井れいこ & PEACE SCRUM