私について
石井 れいこ
1980年4月生まれ/三鷹市下連雀在住
【現在】3人の子育てと政治活動中
【職歴・経歴】
介護付き有料老人ホームでヘルパーとして勤務 認知症専門フロアを担当
ドラッグストアで発注・販売 庁舎内薬局にて登録販売者として従事
大型メディアファッションイベント会社でタレント・モデルのキャスティング、企画、商品開発、イベント運営を従事
命、健康、心に向き合って、困った表情を笑顔にできるような職業に就いてきました。
『資格・スキル』介護ヘルパー、医薬品の登録販売者、「こども哲学ファシリテーター」養成講座受講など
私の思い
介護ヘルパーの経験では高齢者の介助だけでなく、孤独や不安、戦争での心の傷にも寄り添ってきました。そこから見えてくる社会のあり方の見直しや、自治体としての支え方、変化する時代とともに素早く対応していく必要があります。
3人の幼い子を持つ親としては、「安全」をつくる責任があります。心配のない「食」、安心な「教育」、「仕事と育児の両立」、「イジメ・差別のない社会」「ニュースで知る事件・事故の恐怖」など、さまざまな不安がある中、家庭だけでは解決できない問題がたくさんあります。
ヒューマンエラーをゼロにすることは不可能かもしれませんが、少しでも減らせるよう働きかけ続けることで、変えられる市政が必ずあります。
ひとりひとりが大切にされる命。みんなが健康で生活に不安がない社会の実現を目指し、「安心・安全」、「誰ひとり取り残さないまち」を創っていきたい。そのためにも、ぜひとも、皆さまのお知恵をお貸しくださいませ。
幼少期の経験や感じたことで政治活動へ
私の両親の過去にはいろいろあった。
責めたこともあったが、今は責められない。
しかしいったい誰がこの嫌な思いをさせていたのか?
それを探すことが私の人生の半分でした。
私の幼少期は「タコです。かたじけない。」という「たこ八郎」さんのモノマネを家族の前でやらされるという、その思い出から始まる。
「もっとこうやって言ってみて」「違う違う、もっとこうだって!」と、家族から指導が入ったり。
末っ子というのもあり、いつも疎外感を感じていたので「やりたくないけど家族の皆に相手にされるためには頑張らなきゃ!笑ってくれるなら頑張らなきゃ!」と、皆についていくのに必死で、言われるがまま、モノマネをしていました。
命令されて「やらされてる」というストレスはあったが、「一家に一台ね!」と言われたりして、何か褒められてるぞと嬉しくなり、1人の時も「タコでぇす。かたじけない、これで似てるかな~?」と練習してました。嫌なのに。
両親はいつも忙しく、家にいる時はほとんど夫婦喧嘩の日々。その喧嘩の声は日常のバックミュージックになっていました。
姉と兄もそれぞれ学校、部活、勉強と忙しく、私は相手にされず寂しかったので、皆が家にいる時は相手にしてもらいたくて「何してるの~?」と近づいたけれど、小さく何もできない年頃だからか、その度に「あっちいってて!」と邪魔者にされてしまいました。好奇心旺盛な時期で何にでも興味があるのに、「あっちにいってて!来ないで!」の連続。
相手にしてもらえる時は、いつものモノマネ。
だからテレビが友達になった。テレビは「あっちにいってて」とは言わない。知らない情報がたくさんあって楽しかった。「8時だョ!全員集合」や「オレたちひょうきん族」のマネをしたり、「夜のヒットスタジオ」「ザ・ベストテン」で歌を楽しんだり、今という時を忘れることが出来る番組がたくさんあった。
何の番組か分からないが、時折どこかの「仲の良い家族」、「幸せそうに笑ってる女の子」の映像が流れる時がある。素直に「いいな~」という憧れもあったが、「どうしたらあのような幸せな状態になれるのか?」・・・理解できず苦しい気持ちにもなった。
誰にも相手にされない、相手にしてもらえる時は、何かをやらされる。。。
日頃のストレスのせいか、保育園では毎日男の子と喧嘩。
毎日喧嘩しすぎて、「どうやったらもっと強くなれるのか?」「どうしたらもっと早く勝てるのか?」ということで悩むこともありました。私にとっては死活問題だったようです。
ある日、保育園から帰る道を親と歩いている時に、あまりにも親が苛立っているので日頃思っていることを聞いてみた。
「私のこと嫌いなの?」と。
すると「そうに決まってるじゃない!」と怒りに満ちた表情で言われ、私から質問したものの、想定外の返答に、うまく理解ができず、意識が遠くなった。
十数年後に親に聞いても「そんなことは言ってない」と言うのだが、子供は勝手に言葉を変換して聞こえてしまうのだろうか・・・?
どうしてこんなにお友達と喧嘩してしまうんだろ…と思うことも多々。
保育園の年長の頃、こんな自分が嫌で嫌で、「もう死んでしまおう!」と決心し、台所にあった長く尖った包丁を素肌のお腹にあてていました。涙がたくさん溢れ、「でも死にたくない。。」と、凄く怖くなって力が入らず断念したことを昨日のことのように覚えてます。
私の息子は今、あの頃の私と同じ年長ですが、こんな小さな子が「死にたい」と思ったのは、なぜなのか?
あの頃の私には、はけ口がなく、もう苦しさの限界が、死を選ぶことだったのです。
「そんなことで??」「弱すぎる!」という声もあるかもしれない。
しかし、それは逃げ場所のある人や、はけ口のある人のセリフである。
私の近くに祖父母もいない。親戚とも仲良くない。
核家族であり、近所と仲良しなわけでもない。
➡ポイントは、「核家族が抱える親の負担」、「子どものはけ口の無さ」、「子どもの人権」
家での家族の様子は小学校にあがっても変わらず。
末っ子はみんなから命令される。
「お茶ほしい!コーヒー淹れろ!」と頻繁に。
「温度がこれじゃあダメだ!」と兄から頭を叩かれることも。兄から叩かれることは常に。
私は髪を梳かすことも親からは教わっておらず、「髪がグチャグチャで汚ぇ~な~」と叩かれることも。叩くこと以外では、シッペとデコピンも。
「歯を食いしばれ!そしたら痛くないから!」と、なぜかずーっとバチンバチンとデコピンされ、オデコや、シッぺの手首はよく赤く腫れていました。
➡ポイントは、「ストレスは弱き者が受け止める」
ある日、家族ででかけている時、海の近くを車で走っており、私が「海が見たい!」と言うと、「それじゃあ寄ってあげよう」と、有難いことに海へ寄ってくれたのだが、車のタイヤが砂にハマって動けなくなってしまったのだ。
まわりの人たちの手伝いもあり、車は無事道路に戻り、家へと帰ることができたが、、、
親からは「あんたの言うことは本当ろくなことがない!あんたは悪魔よ!オーメンよ!」と名付けられる。
それからは、私が言ったことで悪い展開になると毎回「悪魔」、悪い展開じゃなくても面白がってか「悪魔」と呼ばれるようにもなる。
子供心に、それは言われても楽しくない言葉だと感じ、とても申し訳なく、何かを話すことも怖くなった記憶がある。
「生きていて、何が楽しいんだろう?」と、思うことがよくあった。
相手にされず、しかし楽しくない命令はあって、自分から遊んでもらおうとしても「来るな」と言われ、誰も歓迎していない。だから、ふと、そう思うことがよくあった。
➡ポイントは、「人格否定」「自己肯定感を下げる言動」によってマイナス思考の形成、好奇心や発想を潰す環境
更にはある日突然、親に「本当はあなたは河川敷で拾ってきた子なの」と告げられる。
「嘘だ!嘘だ!ギャー!違うよね?違うよね!?私はみんなと家族じゃないの??なんで?どういうこと?」と大混乱。。。
家族中に「私は拾われた子なの?」と聞いても皆黙ったまま。。。
大泣きして「違うって言ってよーーーーー!」と何度も何度も言っても、薄ら笑いをして黙っている家族のみんな。。。
だいぶ後になって、それが冗談だったと分かるのだが、それまではずーっと私は拾われた子として生きる。
本当の親はどこにいるんだろう?と時折考えてみたり。
でも考えても分からないので、仕方がない、もうなんでもいいや!という気持ちに。
➡ポイントは、子どもに対するどんな「嘘」も子どもの心に傷を付ける。その後の親の信用がなくなる。
子どもに対して権威を主張することは心理的侵入の一形態であり、子どもの自律性を損ない、拒絶を示し、子どもの感情的な幸福を妨げる可能性がある
私は孤独の孤独で、だからといって家族とはなんだか話せなくて、お人形と話したり、近所の犬に話したりして孤独を紛らわす。
こういう時に、また、「生きていて、何が楽しいんだろう?」と、ふと思っていた。
幸せそうな家族を見ると近くにはいたくなかった。幸せそうな子と出会うと、話したくなかった。私には嘘くさく見え、理解ができないから。
寂しいから近所の犬に話しかける。
近所にいた野良犬を拾って帰る。
親に「犬がもといた場所に戻してきなさい!」と怒られる。
「あのままじゃ死んじゃうよ!どうなっちゃうの??」と聞くと、
「そのうち飼い主に会えるよ」と。
「会えなかったらどうなるの?」と聞くと、「役所の人が連れていく」と。
「連れていかれてどうなるの?」と聞くと「そのうち殺処分される」と。
飼い主さんに見つかることを願ってしぶしぶ元いた場所へ戻す。
翌日あの可愛いワンちゃんがどうしても気になって同じ場所へ行ってみたが、いなかった。
「こんなに苦しい思いをするならば、私が将来、日本中の野良犬を全部拾ってきて飼えばいいんだ!」と前向きな気持ちに切り替えた。
しかし飼うには広い場所を用意するのに「お金」が必要、餌に「お金」、全てに「お金」というものが出てくる。「お金」、「お金」と、何かを望むといつも出てくる「お金」。人もお金の為に動いて、お金で一喜一憂して。お金で怒って、何をするのも「お金」。
犠牲になるのも「お金のため」。嫌なことでも「お金のため」。
嫌いな人でもお金があるなら仲良くする。間違っていても「お金」が正解。お金を持っている人が天下なのだと。
そんな世界なのだと。
いったいお金ってなんなんだ?
そんな世界もなんだかつまらない。なんだか切ない。
自分の気持ちではなく、お金によって動くということがなんだか切ない世の中なんだと、ここでもまたドンヨリとしたのでした。
ようやく辿り着いた景色を眺めるように、しみじみと「お金」なのか~と実感していた。
小学4年生の書き初めでは、「 世の中お金 」と書いた。
私はいたって真面目に書いていたが、家族中笑っていた。兄は友達を家に呼んだ時に「これ面白いだろ?」と見せたりして。
私には何が面白いのか分からなかった。
この「お金」に関してもその後に続く“考えるテーマ”となりました。
物心つく前は、親や家族というのは「安心できる場所」で「一番の理解者」なんだと勝手に思っていましたが、そうではなかった。
誰も私と向き合おうとはしない。
理解してくれる人はいないんだと、8割くらい思ってました。残りの2割は「それでももしかしたら」という希望を少し持っていました。
そうしなければ自分が保てないから。だっていつも見るテレビでは素敵な世界が映し出されてるから。
そして無意識にその2割の範囲を広げようと、家族みんなの誕生日を覚えて「本当におめでとう!!」と心から喜んでいました。
誰もこちらを相手にしていないのに、一生懸命に笑顔で頑張ってる幼い自分の姿を思い出すと、泣けてくる。
自分がやってほしい世界をつくろうと思っていたのかもしれません。
しかし誰も嬉しそうな表情になってくれない。
誰しもあるだろうが、誰かに何かをして喜んでもらいたかった。
「生きていて良かった!」「生まれてきて良かった!」「必要とされた!」と思わせてほしかったのです。
しかしそれは叶わなかった。
➡ポイントは、子どもは自分の脳を活用すること、前向きに生きる術を知っているが、周りの環境により阻まれる
「もう、いいや、家族と話すのはやめよう」。
自己肯定感は下がり、「どうせ誰も喜ぶはずがない」「私なんか、何をやってもどうせダメだ」というマインドが深く植えついていったのです。
そういう些細なすれ違いが、より一層この世界を暗くしました。
余談ですが、
絵が好きでよく描いていましたが、明るい絵にならないのです。
色を重ねていってしまい、どうしても暗い色合いになってしまいました。
だから私には、当時よく見かけたヒロ・ヤマガタや、ラッセンは、理解のできない、受けつけない世界。
「そんな明るい世界なんてない。嘘だ!」と、見るたびに恐怖していました。
・・・なんだか、こんな世の中は絶望的だ!
私が何をしても途中から「どうせダメだ・・・」という気持ちとなって諦めてしまう。
それはストレスとなり、ストレスは喧嘩となる。
ほんの些細な人の発言や態度に対する怒り。
「どうせダメな私をもっとダメだと言うのか!」というような感情で衝突してしまう。
そういうことばかりしていると、学校で何かある度に私が犯人扱いされることも多くなる。
「私は絶対やってない!」と言っても先生は私以外を1人1人呼び出し、聞き取り調査をする。
最後に私を呼び、「皆は君がやってるに違いないと言っている」と告げる。
先生は初めから私だと勝手に決めつけており、そして私に白状を迫る。
友達は「僕は見ました!」とまで嘘をついて私を犯人にする。
私は、なぜ嘘をついて「自分が犯人でした」と言わなければならないのか?
もう、先生も信じられない。友達も裏切るものなのだと理解する。
この頃、テレビのニュースで、何かの事件の容疑者を見ても、「本当に悪い人なのか?」を考えるようになりました。
私が学校で犯人に仕立てあげられたから、もしかしたらこの人もぬれぎぬを着せられそうになってるんじゃないのか?
テレビに出ている人はこう言うけど、本当は違うんじゃないか。誰かにやらされたんじゃないか?
大勢が「間違いない!」と言っても疑って見るようになりました。
【音楽に救われる】
その後も生きる気力はあまりありませんでしたが、その都度、音楽が救ってくれるようになりました。
自分でハーモニカ、リコーダー、トランペット(やフリューゲルホルン)という楽器が奏でられるようになると、嫌なことを全部忘れて没頭し、喧嘩のない楽しい時間が増えました。
いつも通知表では「協調性がない」と記載されていましたが、演奏する時は皆で音を合わせなければ素敵な音楽にはならないので、他の楽器と音を合わせ、誰かと呼吸を合わせる楽しさを知り、少し成長しました。
恥ずかしながら、これほどまでに誰かのことを必要だと思ったことはなかったのです。
誰かがいないと素敵な演奏は出来ない。1人の音だけでは物足りない、、、
音楽とはなんと素晴らしいものなんだ!と新しい世界を見つけました。
その頃からか、教室の全体を見るようになってきました。
元気がない子がいないか。逆上がりができない子がいたら一緒に練習する。私にできることはないか?私が役立つことはないか?
励まし合いながら登山してるようなそんな感覚で。
どうしても気になってしまうのです。自分だけが笑ってても、暗い顔をしてる子もいる。
話してみたら、自分からは言い出せなかった悩みがあった・・・等、話してみない限り分からない。
中学校に入ると陸上部からお声がかかり、音楽から離れた。そのせいなのか分からないが、クラスでまた喧嘩をしてしまう。。。
とある先生がそんな私に言った。
「寂しいのね・・、相手にされたいのね・・・」
それを聞いて、ハッとしました。
図星だったからです。
とにかく、誰かに相手にしてもらいたかったからです。
その方法が分からないから、怒るという表現になっていたのです。
なので、急に恥ずかしく、そしてみんなに申し訳なくなり、それからは喧嘩をすることをやめました。
その寂しい“かまってちゃん”は、「喧嘩」から「友達の困りごとを解決する」ということへシフトチェンジしていきました。みんなの悩みの中に、私の解決できない問題の答えがあるかもしれない。無意識にそう思って行動していたのかもしれません。
高校生になると友達から悩みを相談されることも増えてき、解決策を常に考えていました。
友達の抱える家族や人間関係の悩みや問題。
まちで出会う人々のストレス。
【全てを解決したい!】
他にもニュースで見たアフリカ難民。
「難民も救わねば!」
私がやらなければならないことがたくさんあった。
皆が笑顔になったら、私はなんだかとても居心地が良い。
皆の顔が曇っていたら、とても居心地が悪い。
当時、オゾン層の環境問題が話題となり、学校で環境破壊についての絵画を描くこともありましたが、私にとっての一番の環境問題は、ストレス、いじめ、戦争、「人が人を壊す」。これだった。
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以上のことがベースとなり、皆の抱えるプレッシャーやストレスの大元を探し始める。
このようなことは多くの人が一度は考えることだと思う。私も多くの皆と同じです。
【自己責任論】
しかし私には経験も知識もない。世の中には解決できないものがたくさんあります。
そのたびに、
「こんな世の中なくなってしまえばいい!」「そういう被害にあうのが悪い」「要領が悪いからだ」「効率が悪い」と、自己責任だと思ってしまうこともありました。
「弱肉強食」「競争社会なのだから」「仕方ないことなのだと目をつぶりなさい」「まだ若いな」「大人になれば分かる」と周囲から言われ、考えることから遠ざかることもありました。
そして、私も多くの人と同じように、世間から置いてけぼりになる恐怖、自分だけは蹴落とされたくない恐怖で死に物狂いで要領よく生きようとしていました。
差別意識があるなんて、思ってもみませんでした。
その考えの延長線上に戦争肯定もありました。「やられる前にやるしかない」と。。。
「完璧な日本人」に近づくようにとも考えるようになり、人から「日本人らしいね!」と褒められたい!という思いで、自分の弱さ故の強さへの憧れを「日本」という形のない甲冑のようなものを心に着せることにより満たし、「武士道」などのような本を読んで、「自己の精神を鍛えることこそ強さであり美しき世界!」と思っていた時もありました。
私は弱いから、
「何かにすがりたい」「そして強くなりたい」
そういう思いでした。
しかし、「気高く」とか「誇りをもって」とか、自分を追い詰めていくと、とても息苦しくなる。
「自らの精神を鍛える」→できないから自殺
「劣った者だと思う人を見下す」→いじめ、差別
「自己責任」の考えに繋がると、そこに救いはあるのか?
そこに答えがない。
本心は戦争反対であるのに。。。
幼い頃、「はだしのゲン」を見た時の気持ちを忘れてしまうかのように。。。戦争を肯定しようとする自分がいる。
当時の私はこの考えにちゃんとした答えが見つけられず、何かが違う!と、新たな道を探し始めました。
【死にたい気持ちが消え、生き抜く気持ちに】
様々な問題の原因を探し、調べていくと、追い詰められる家族や、友達、まちですれ違う人々、もしかしたら、そのプレッシャーやストレスの原因の一部に、この政治、社会のシステムに問題があるのではないかと思えるようになってきた。
この社会は、蹴落とし合い。
自分だけは蹴落とされないようにと必死にしがみつき、足を引っ張り合い、人を蹴落とさなければ生きていけないような状態であった。
誰もがこの競争社会で生きて、ストレスを抱えている。
そのストレスは「人から人へ」と受け渡され、最後は何も言えない、弱き者が、犠牲となる。
家族は外の社会からストレスを持ち帰り、私は家族の末端で、どんな嫌なことを言ってもいい存在、何をしてもいい存在として、ストレスのはけ口となっていた。
だから逃げ場のない私は「死んでしまいたい」と思ったし、「強くなりたい」とも思っていたのかと気づいたのでした。
このような競争社会に私たちはいます。
それは、誰かの犠牲の上に立っているということです。
「自分だけが幸せ」なんていうことはなくて、そこには必ず犠牲者がいます。
誰かの犠牲の上に立った幸せであり、その犠牲の先には子供たちや社会的弱者と呼ばれる人々が存在する。
私たちはそういった犠牲の上に立たせてもらっていることを自覚しなければならない。
原発、米軍基地、在日の方、冤罪、薬害事件など。
会社でもあることだと思う。危ない仕事は1人の社員に責任を押し付け、失敗したら辞めさせるなど。
犠牲を出して存続するもの。
なので、救うべき人々はたくさんいます。
そのために変化すべき点もたくさんあります。
私はこの社会を変えたい。
この犠牲を出し、救われないような社会を変えたい。
「私自身が犠牲者なんだ!」「私が被害者なんだ!」と言いたいわけではなく、私は被害者でもあるし、加害者でもある。それが競争社会だから。
なので、決して「辛い思いをしたから」「痛みを知ってるから」という被害者意識で物事が解決するとは思っていません。
私も差別をしていた。今も気づいていないけど、もしかしたら差別をしているのかもしれない。
常に被害者の立場を想像し、「加害者であるかもしれない」という疑いをもつことをしなければならないと自分に言い聞かせています。
今現在、子どもを育てていて、あの頃の自分と同じような思いをさせちゃいけない!と、子どもを壊さないようにと、彼らと向き合い、彼らの脳の成長を極力大人が邪魔しないようにと、言葉や行動に注意している。それは自分の子ども以外に対しても。
子どもたちは「未来」であり、その未来を壊すのは今を生きる私たち社会全体である。
よく世間で「こどもは宝であり、未来である」と言ってるのを聞くが、本当に1人1人の存在を想像できてるだろうか?国があって人がいるんじゃない。人があって社会があり、国がある。こどもが1人1人「宝」のように「未来」のように育てられてるならば、こんな社会にはなっていないし、少子化になどならない。
「宝」や「未来」と言うのは簡単だけど、この社会で生きる全ての人たちが、子どもたちに「この先の社会をヨロシク!」という責任転嫁の態度ではなくて、朝の満員電車で「なんで子連れなんだよ!」と、新幹線で「子供をあやすお前がうるさい!」と苛立つ態度ではなくて、「本当に奇跡の宝だな」と、「未来を担う1人を育ててるんだな」と大切に守り育てる気持ちがなければ、壊れた社会の壊れた大人の犠牲になるだけなのであります。
少し他の人と考え方が違うかもしれないが、私は自分の子どもを出産したが、「未来」も産み育ててるという意識がある。
生活も裕福ではないし、両親のサポート体制もほぼない。
しかしなぜ産むのか?
それは、わざわざ産もう!未来をつくりだそう!と思わなければ人が増えない社会がそこにはあるからです。
そのままこの社会の流れに乗れば、産めない。
報われない社会だから、音楽を楽しみたい。勉強したい。活動したい。美味しいものを食べたい。そうしなければ明日も元気に働けない。そこに子どもの入る隙間はない。
しかし、子宮内膜症で医師から「一番いいのは、早く子どもをつくって生理を止めるといい」と言われたこと。友人からも「早く子どもつくったほうがいい」と言われて、ようやくその「わざわざ」の現実が分かったからこそ、「動物」としての抵抗でか、自己肯定感の低い自分を捨てようと、前向きに考え始めたのです。
そんな、「人が存在していないような未来」を想像して危機的意識を持たなければ、不安すぎて出産なんて出来ない!
みんな自分のことだけ、自分の家族だけ。自己責任な社会がそこにあるからこそ、多くの人が自分たちのことしか考えられなくなってくる。
そんな意味で生まれた子は可哀想という声があるかもしれないが、その意見は未来への諦めである。
未来がダメになると決まっている考えからくる発言。
私はそう思いたくないし、ダメな未来が待っているのなら、変えなきゃならない。子どもが産めるような社会をつくらなければならない。
どうして末期的な社会に私たちが合わせなきゃならないのか?
「動物としての子孫を残す」ということのほうに、社会のほうが合わせなければならないのだと思うことは、おかしいことでしょうか。
【本当は血も涙もない社会じゃないはず】
私と同じような人もたくさんいる。私が想像できないような状況や状態の人もいる。
子育てする親や教育者、社会全体が、「人が人を壊す」こんな状況を認めてしまったら、血も涙もないじゃないか!
全て自己責任。弱肉強食へと退化することを認めることになる。
多くの方の死にたい気持ちは、自分自身のせいではなく、この社会のせいなのかもしれない。
全ては繋がる。
少子化、子育て、無気力、自己肯定感の低さ、死にたくなる社会、生活苦、孤独、疎外感、不安な老後。
そこで、政治家たちを見ると、、、
嘘をついて、弱き者を救おうともせず、自分のことしか考えてない、とても残念な姿でショックでした。
だから政治は信用ならない。
だからこの世に希望がもてない。
だから子供の希望を潰すような身も蓋もないような社会になる。
潰されてきた人は、他の人も潰す。
それを回避できた者だけが生きていけるという世の中が正しいのではないはずです。
それは、本来あるべき社会や政治の姿でしょうか。
子供たちや、弱者と呼ばれる人々が成長できないような狭く窮屈な社会を用意しておいて、「最近の若い者は・・」「自分でなんとかできないのか?」「学力が低い」「自ら考える力がない」「頑張りが足りない」「すぐ何かのせいにする」など、よくも言えたもんだ!と思うのです。
内閣府の日本を含めた7カ国の満13~29歳の若者を対象とした意識調査では、日本は自己肯定感など最下位。
今は、明るい未来に向かって生きているのではなく、
希望のない、30年の不況を継続するような、ただ経済を少し回す道具の一部の部品となっている自分自身に、、、ただご飯食べて・働いて・寝て・を繰り返すだけのロボットのような人生に、、、
本当にそれでいいのか!?と。
悔しくはならないのか!?
もっと人間らしく充実した人生でなくていいのか?と問わない人はいないと思います。
そんな絶望した社会から生み出されるものとは、裏切り、憎悪、犯罪、自殺です。
こんな状況を許すのか、許さないのか!
そこに私たちは立たされているんだと思っています。
許すのならば、黙っているか、一部の資本家・大企業・権力者に従うのみ。
許さないのなら、デモをするか、そうではない政党を支持するか。
その選択しかない状況に立たされていることを肝に銘じることだと思います。
このことを自覚しない限り、ますます奴隷状態となり、事態は悪化する。その悪化した爆弾を自分が持たなかったとしても、次の世代に平気で渡してしまう、その無知からくる罪の重さははかり知れません。
更に、本来手を取り合う仲間同士が争ってる場合じゃないと思います。
一部の利益にしかならない資本家の気持ちに寄り添わなくてよい。
自分だけが助かろうと思うからややこしくなる。
しかし、仕事では要領よく生きなければ生きられないのも分かる。
だから政治で変えなきゃならない!
話がそれましたが、話を戻すと、、、
20歳の頃から、さまざまな問題に意思表示をする手段として、いろいろなデモへ参加したり、自ら反戦イベント等を開催したり、毎年8/6の広島にも行っておりました。
仕事を通して、高齢者の抱える問題、介護の問題。登録販売者の資格を取る際に学んだサリドマイドなどの薬害事件。国の政治・政策による被害者たち。
その他にも日本中で被害者たちが声をあげているのを知りました。
そして、原発事故。
政府の「国民の命を守る姿勢のなさ」が明らかとなり、私たちの為に政治家がいるのではない、という、本当の姿を見ました。
分かってはいたけど、ここまで酷いのかと愕然としました。
外部被ばく、内部被ばく、自殺、離婚、原因不明の体調不良等、たくさんの犠牲に対して誰も「申し訳なかった」と積極的に調査しようとしていない。
そんなもんは無いという態度。
本当に、血も涙もない、国民をなんだと思っているのか。
しかし私たち一人一人にも原因があります。
原発についての危険性を広く伝えず、反対せず、野放しにしていたことが、このような犠牲者を出したのだと思ってます。
私はこの国が素晴らしいと嘘をついてまで言ってほしいのではなく、歴史を修正してまで思ってほしいのではなく、希望的観測でもなく、鼓舞されずとも本当に中身のあるものであってほしいと願うのです。
今の高齢者を切り捨てようとしている状態に恐怖ですし、防衛費より、育児・教育じゃないの?再開発じゃなくて、人じゃないの?
【なぜれいわ新選組なのか?】
仕事も忙しくなり、しばらく政治ニュースから離れてしまってました。
第一子を出産してからは、私の幼少期のような思いをさせないため、脳科学や心理学を学びました。子どもでも一人の人間として尊重し真正面から向き合うため、そこにはストレスが持ち込めませんでした。
テレビのニュースでイライラするストレスを子供に与えないために、ニュースはあえて見なくなりました。
難しいことを考えると母乳もストップしてしまうから、極力明るくない情報を入れないようにし、ほんわかした時を過ごしておりました。
だから、子育て中のママさんが政治に関心が持ちにくいのがよく分かります。
暗い話は子育てや家庭にはマイナスです。
しかし、そうしてしばらくして気が付くと、改憲へとどんどん向かい、国会は大政翼賛会まっしぐらの状態となっておりました。。。
しまった。。。
もう、こんな危機的状況なのに優雅に時を過ごしていたとは。。。
子供たちの未来が壊されようとしている!
政治を見て声を上げてこなかった時期を後悔した。
そんな中、「戦争反対」を言ってるだけじゃなく、態度にも表れていたのはれいわ新選組でした。国民総動員令に署名したゼレンスキー大統領にスタンディングオベーションをしなかった唯一の政党。
戦争を回避する政治を実現できる政党はれいわ新選組しかない。その思いで、れいわのボランティアに参加し始めました。
【なぜ政治家を目指すのか?】
よく言われるのが「赤ちゃんがもう少し大きくなるまで待てなかったの?」と。
もちろん、私は脳科学や心理学の勉強もしているので、母子密着の大切さやコミュニケーションの大切さを知っています。大事な時期なことはもちろん承知です。
だから、赤ちゃんや子供たちに負担のないように活動をするように心がけてます。
皆さんは、私のことを「政治家になりたい人」として見ていますが、実はそれがゴールではありません。
私が目指しているのは「社会を良くしなければならない!」ということです。
政治家になりたい人は、赤ちゃんが大きくなるのも待てるでしょうが、私の赤ちゃんが大きくなれるのかさえ心配な現在、待ってはいられません!だって経済もちゃんと回ってない、高齢者切り捨て、教育費は世界的諸国と比べても最低ランクに位置、軍事費倍増で戦争に向かってる社会、
こんな緊縮財政で、一体どんな未来が待っているのか想像できますか?子どもたちの命が守れますか?不安にならない母親はいないと思います。
そして自治体は国の命令を聞く機関ではない!
しかし、実態は文句も言えず従うのみ。三鷹市にいたっては、三鷹市民の命にかかわるPFAS(有機フッ素化合物)の水道水汚染の被害調査や外環道工事の問題についても多数決で救えない状況におり、耐えられない!
命が任せられない三鷹市。
まずは、命です。今やるべきことは再開発ではありません。まずは人を救うべきです。保育・教育・給食費無償化、子育てしやすいまちに。そのためにも、市役所職員にはもっと学び、市民に寄り添って働ける環境を整えなければならない。職員の給料を下げるなんてもってのほか。会社でも社員の給料を下げたらみんな働いてくれますか?違いますよね!
「耐えさせる」ことじゃないです。苦しめたらもっと低下します。
人数を増やし、働きやすい状況を作っていく。デジタル化できるところはどんどん取り入れ、もっともっと市民に向き合えるように、市民のために徹底的に考えられるように整えていかなければならない。
なかなか市民に伝わらないことですが、みんなはもっと幸せになっていい存在なんですよ!
日々、子育てをしながらの活動は大変です。
子どもとちゃんと向き合う分、時間がないです。
しかし、そんな誰もが声をあげられる状況も作らなければなりません。
政治のことを考えたくない産後でも、友達と話をするように声をあげられる状況をつくらなければなりません。
みんなが辛い顔になってほしくない!そのためには、みんなが政治のことを話せる状況じゃないと。
みんなの喧嘩、揉め事、ストレス、その原因が友達や家族や同僚でなく、社会や政治にもあることをもっともっと知ってもらいたい。
ハコモノばかりで財政破綻に向かわせないように三鷹市の目を覚まさせます!
応援してください。
そして、石井れいこと一緒に頑張りましょう!
最後に、
「➡ポイント」を記載してきましたが、私が経験してきたことを無駄にしない!
家族が抱える問題の解決方法を政策に入れ、現代の心理学や脳科学では、よくないことだと分かってきていることは積極的に三鷹市から実現していきたい。家族の問題は家庭だけのせいにしない。家庭だけに押し付けない!
また、何度も出てくる言葉「自己肯定感」。
自己肯定感が下がると、「どうせできやしない」という発想になってしまう。
多くの人がこの考えで育てられているから、会社でも人付き合いでも、この考えが生じます。
「どうせできないんだから、どうやってやるんだよ!」というマウントをかけ、新しいものを潰す人々。
そんな発想から新しい社会、希望のある社会など生まれてくると思いますか?
期待されないより、期待された人のほうが成長するという心理学の結果もあります。
なので、そうではなく、私が社会人として学んできたことですが、多くの人は諦める理由を探しています。そのように育てられたから。
なぜならば、支えになってくれない血も涙もない社会がそこにあるからです。だから守りに入るのです。しかしそこからは何も生まれてこないんですね。
「どうせ、できやしないと言う前に、じゃあ、出来るためにはどうしたら良いのか?」
この考え方にシフトチェンジする時代になってきたのかと思います。
「戦争をしないためにはどうしたらいいのか」
「命をまもるためにはどうしたらいいのか」
まず目指すべきゴールを設定し、そこへ向かうプロセスを構築できたらと考えております。
三鷹市から発信する新しい社会のありかたがあってもいい。
同じ子を持つ親である市議が、皆さんの健康のことに関わる意見書の決議を「否決」「退席」していることに恐怖を感じます。
もっともっと積極的な安全、平和を考える市であってほしい。
そのように考えております。
誰に市議をやってもらいたいか。
私は、それは命のことを最優先に考えられ、そして経済のことも考えられる人だと思ってます。
2024年追記
こどもの教育の未来の為、2024年「こども哲学ファシリテーター」養成講座受講
子ども哲学は1970年代に、コロンビア大学の哲学科の教授が始めました。大学生が勉強に意欲を感じていなかったこと、自分で考える力が弱かったことを解決するためです。
私は幼少期、「考えること」が趣味でした。
なぜあの人はいつもと違う表情なんだろう?
あの子が辛いと相談してきた…解決方法はどういうことがあるかな…?
など、まるで修行のようにずっと。そして友だちと考え方をシェアしたり。
考えること、違う考えに出会えることって、凄く楽しいんです。
例えば「自由って何?」こんな問いを子どもたちに聞きます。正解は無い、沈黙OK、誰も間違えてない。ファシリテーターも誰も、自分の考え方を押し付けません。
みんなが考えた分だけ、脳のいろんな部分が働きます。
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